日本を代表する巨大企業ともゆかりの深い西ノ京

今回は当事務所のある西ノ京地域についてです。まず一枚の写真を見ていただきたいと思います。写っているのは、京都市中京区西ノ京原町101番地付近の建物です。建物は近くのお寺の会館なのですが、この場所はいったい何なのでしょうか。

京セラの発祥の地だった

実は、1959年4月1日付で設立した「京都セラミック株式会社」という会社が本社及び工場を置いた場所なのです。

同社の当時の資本金は300万円でした。その後、本社は山科区に、ついで伏見区に移転しました。同社は急成長し、現在は、資本金が1,157億300万円、連結売上高が1兆4,227億円余となりました(2017年3月期)。名称も変更し現在は「京セラ株式会社」と名乗っています。

要するに、西ノ京は、日本有数の巨大企業・京セラの発祥の地なのでした。最近、西ノ京について調べていてそういう事実があることを知ったのでご紹介した次第です。

以前にこのブログで西ノ京には隠れた史跡が散在していると書きました。京セラ発祥の地という史実があるなら、それも西ノ京の地域自慢にしてもよいように思います。ただし、写真の場所には特に碑も建っていませんでしたので、史跡はありません。

島津製作所が本社をおいている

関連してもうひとつご紹介します。西ノ京には、現在、株式会社島津製作所の本社および三条工場があります(京都市中京区西ノ京桑原町1番地)。

調べてみますと、1917年(大正6年)9月1日に、株式会社島津製作所が設立されました。そして「将来を見越して計画は大なるべし」という社長・島津源蔵の方針にもとづき、直ちに三条工場の用地購入に着手(同年11月)。翌1918年7月までに約33,000平方メートル(1万坪)の土地を購入しました。当時は、京都府葛野郡朱雀野村字桑原という地名でした。購入費用は当時の金額で77,438円。

そして、同地に、レントゲン工場(500平方メートル)、機械工場(660平方メートル)、木工場(230平方メートル)、鋳物工場(500平方メートル)など計22棟(4,000平方メートル)の建物を完成し(1919年10月)、200人の人員で操業を開始しました。その後1925年10月、河原町工場も三条工場に移転したことから、三条工場は島津製作所の主力工場に。第二次世界大戦中には兵器工場もありました(以上『島津製作所史』1967年によります)。

同社の本店はもともと木屋町二条付近にありましたが、幾度か移転したあと、今は三条工場と同じ場所にあります(移転時期は正確には調べられていません)。

こうしてみますと、西ノ京は、日本を代表する巨大企業とも古くから縁が深い地域であるとも言えそうです。

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